智積院は、真言宗智山派の総本山です。鳥羽上皇の信任を得た覚鑁上人が高野山で真言教学を再興、その後移り住んだ紀州根来寺は、1585年に豊臣秀吉に焼き払われてしまいます。根来寺の塔頭寺院の中の学頭寺院として栄えていた智積院の学頭玄宥は根来寺の再興を願いつつ京都に逃れました。1615年、徳川家康は秀吉の愛児鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺を智積院能化に寄進し、「五百佛山根来寺智積院」と改め、仏教研学の道場として栄えました。
名勝庭園
智積院の庭園は正面の大きな築山が目を引きますが、中国の廬山をかたどって造られたと言われます。サツキの植込と石組とかが交互に並んでいる姿は変化に富み、またそのスケールには迫力があります。その前面の池は、書院の縁の下にまで入り込み、変わった趣を添えています。築山の左手及び右手には石橋が掛かり、庭園に奥行き感を加え、野性的な深山の雰囲気を同時にもたらしています。
その他の見どころ
- 長谷川等伯の障壁画