桂春院は、妙心寺の塔頭寺院です。織田信忠の次男、織田秀則によって見性院として創建されたのが始まりです。
秀則の死後、美濃の豪族、石河壱岐守源貞政が1632年に父光政の50年忌の追善供養のために桂南守仙和尚を請じて、現在の建物を整備し、父の法名「天仙守桂大禅定門」、母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとって桂春院と改めました。
桂春院には、真如の庭、清浄の庭、思惟の庭、侘の庭の4つのお庭があります。
真如の庭
躑躅の大刈込の向こう側は一段下がって苔の敷き詰められた中に小さい石を七・五・三風に配置しています。これは十五夜の満月を表現しています。
清浄の庭
清浄の庭は方丈北庭の坪庭で、枯滝石組と白砂の渓流の表現によって、心身を常に洗い清め無垢な状態でありたいという意味が込められています。
思惟の庭
方丈東庭の思惟の庭は左右に築山を添え、中央には礎石を座禅石に見立てています。
侘の庭
書院前庭の侘の庭は、飛石づたいに茶室「既白庵」へといたる露地庭です。